彼のお姉さんが肺がんでなくなった。
もう数年前からがんであることはわかっていて、
彼も、暇をみては九州の実家まで帰るようにしていた。
4人兄弟だが、商売をしているおうちなので、
お兄さんたちは、お母さんの病院通いについていけず、
医師からの込み入った説明などは彼が付いていって聞くようにしていた。
治験で新しい薬も試したし、打つ手は打っていたが、
徐々に弱っていたようだ。
先月中旬、彼が仕事でヨーロッパにいるときにお母さんからなるべく早く戻るよう連絡が入ったという。
とにかく、成田からそのまま九州へと向かった。
そのときはなんとか持ちこたえていたようだった。
その後、仕事で東京に戻り、さらに2週間後に海外に向かうため、4日間の休暇をとって実家に戻った。
そうして、彼は海外に仕事に向かい、ついて数日でお兄さんから訃報をうけとったという。
毎日電話は入れていたというが、兄弟の中で一番お姉さんと仲が良かったという彼の心境を思うと、
いてもたってもいられない気持ちになった。
1ヶ月くらい前から、お姉さんの容体の話を聞いて、私の方が取り乱していた。
自分が海外に行ってる間に、父に何かあったらどうしようといつも思っていて、
だから、彼が海外にいる間にお姉さんの容体が急変することを恐れていた。
私も、お目にかかったことがあるし、親ならともかく、自分といくつも年が違わない兄弟が亡くなるなんて、
自分だったらどんなにショックだろうと思うと、想像しただけで不安定になってしまった。
それで、海外にいる彼に、1日数通も「大丈夫?」とメールを出していたら、
「うるさい」と言われた。
今になって思えば、人間本当にショックなことは、触れてほしくないものだ。
でも、自分があるひとつのことにオプセッショナルになっていると、そのことに気がつかない。
だいたい、自分が客観的に見えないときは、
うつ状態がひどくなっている時だ。
ただの友だちなら、お互い不機嫌なときはしばらく距離を置くこともできるが、
今は一緒に仕事していて、一日に何回も仕事の連絡が必要だ。
彼に言わせると、仕事のメールだけでもいっぱいなのに、私から1日に10通以上もメールが来ると、
処理しきれない。
心配してもらっているというより、煩わしさが先に立つということだった。
確かにそうだ。
本当に、気がつかなかった。
そう言われて、とても悲しかったけど、でも仕事を気持ち良くしてもらうことを優先して、
というより、とにかく、身内が病気だということはなにより大きなストレスだということを知っているので、
「大丈夫?」というメールは辞めることにした。
私が、彼に甘えるのは辞めようと思った。
彼が帰ってきて、日本にいる間は、仕事の方はずいぶんはかどった。
私が、1日起き上がっているとつらくて、午後の時間帯に昼寝をすることを知っているので、
電話で眠そうな声を出すと、「ごめん、起こして悪かった」と気遣ってくれた。
彼が、最後に九州に戻るとき、お姉さんにロザリオ持っていってもらった。
薔薇の花弁をかためて作るその製法は、南フランスやスペイン特有のもので、
前に、友だちがフランスのお土産で買ってきてくれたものだった。
ずいぶん経っているのに、薔薇の香りがした。
それをお姉さんに渡した日、彼から、きれいだと言ってとても喜んだ、ありがとう、ありがとうとメールが来た。
その2回繰り返されたありがとうということばに、彼がどれほど深くお姉さんのことで心を痛めているか感じて、
また、涙が止まらなくなった。
訃報は、私や友人たちには直接メールで来なかった。
ブログに一言、訃報を受け取ったと書いてあった。
先月、容体が急変した時にはメールがあったのだが、
今、下手に大丈夫?というとしばらく日本に戻ってこれない彼が、
精神的に崩おれてしまう気がして、どうしようと思った。
それで、一番仲のいい共通の友だちに電話して、話をしているうちに、
号泣してしまった。
「心配するなって言うけど、心配するにきまってるじゃん!」と言って。
その日は私があまりにも感情が乱れてしまっていたので、
彼女から、彼に「大丈夫?」とメールを入れてもらった。
次の日、少し落ち着いてから、なるべく冷静に「すごく心配してたんだよ」とメールした。
それでもう、このことについてはメールしないことにして、
仕事のメールは、事務的にやりとりすることにした。
私は、相変わらず具合が悪く、先週からやっぱり過呼吸気味だ。
だいたい、外出しないとならない日に限ってひどくなる。
体が拒否しているみたいだ。
仕事量はどんどん加速度的に増えていく。
そうなると体調はどんどん悪くなる。
主治医からは、仕事減らせないの?と言われ続けている。
この先、どうなっていくのだろう?